ラジコンファンの皆さまこんにちは。
ラジコン、楽しいですよね?楽しいと突き詰めたくなるのが人情。もっともっと!と。
で、我が家はどうなったかのお話であります。
小学生の息子と一緒に、タミヤでオフロードバギーをはじめた。やがてサーキットに通うようになり、気がつけば、競技バギー(ハイエンドバギー)で毎月のレースを目指して練習することが週末の予定に組み込まれるようになっている。
どこで競技ラジコンの世界に迷い込んだのか?
その辺りを振り返ってみたい。
最初GBサーキットのタミヤ540レース
きっかけは、GBサーキット。
息子をドライバーにして参加していたタミチャレの時に、「オフロードはやらないの?」と聞かれたことだったように思う。(その辺曖昧)
当時、タミチャレではようやく大人の中でも普通に走れるくらい。
ともかく、タミヤバギーのクラスもあるから、出てみたら?と誘われ、ウチに転がっていたタミヤのDB01で出場したのが最初だった。
その時は、私が勝手にエントリーしていて、当日までドライバーの息子は参加を嫌がっていた。
オフロードコースは何度か走ったきりで走り込んでないことや、エントリーした私のDB01が好きじゃない(自分用にTT02Bがある)とか、色々要因はあった。
私の目論見としては、レースが始まればすぐにその気になることは分かっていたので、とにかく走らせればいいと思っていた。(オンロードのタミチャレも最初は嫌々始めたが、ドハマりした)
しかし、その日はイヤイヤが収まらず、ずっとメソメソ泣いていた。
GB代表の荒療治
それをたまたま見かけたGB代表の崎山氏が、何を思ったか、ハイエンドバギーが走るストック4wdクラスの予選にいきなり息子を代走指名したのだ。
突然の代走アナウンスにざわつく場内。
息子はハイエンドバギーを操縦したことなど当然ない。
小3の少年がまともに走れるワケがない・・・・
「ホラ、行ってこい」
プロポを渡され、渋々操縦台に登る。
マシンはロッシ(TLR)の4WD。
当時は全く知識がなかったが、いわゆる高級(ハイエンド)マシンだ。
走らせ方をレクチャー(バックできないとか)され、何周か練習で周回する。もちろんジャンプは舐めて走る。
当たり前だ。ジャンプ練習などしたことがない。かなり練習しないとマシンを壊してしまう。
どうにか周回はできるようだが、レースにはならないだろう・・・・・・。
予選が始まる。
タミヤバギーとは全く違う荒々しい音とスピード!
ジャンプを飛ばなければどんどん置いていかれる。
あっという間に最後尾に。
今の彼はオンロードの走り方でとにかく走るしかない。
4wdとはいえ、コーナーで迂闊に握ればリヤがスライドして横を向く。獰猛なパワーに完全に負けている。
その時だった。
「ヒロキ、飛べ!」
代表が檄を飛ばす。
何を思ったか、息子はジャンプで思い切り握る。
「ギュアッ」
地面を蹴って宙を舞うロッシ・・・・
他の選手のマシンと違うのは息子が操るロッシはロケット打ち上げのようにノーズが上を向いている点である。
これでは着地は上手く行くはずもなく、姿勢を崩し、何回転も転がるマシン。マーシャルに起こされてまた走り出す。
またジャンプ・・・失敗
またジャンプ・・・クラッシュ
あれだけのクラッシュしてもまだ走れるのか?というくらい転んだ。
見ていて痛々しい。
大切なマシンをこんな目に会わせて申し訳なく、いたたまれない気持ちになる。
息子も、もう嫌なんじゃないか?やめさせたほうが・・・
しかし、周回を重ねて行くうちにだんだん走りが攻撃的になっていく。
それまでのパワーにのたうち回る感じが薄れていく。
それでも代表は
「いいぞ!もっといけ!飛べ!」
声をかけ続ける・・・
やはり転がるマシン・・着地ができない
,,,マシンは無惨にもリヤウイングがない!
ジャンプ失敗を繰り返しウイングが破損してしまったのだ。
結局、予選は最下位。ボロボロのマシン・・・
なんとそれを2回も!!
マシンは述べ二台を犠牲に・・・・(一台は足が折れた?)
操縦台から降りてきた息子。頬は赤く上気し、目の色が変わっていることに気づく。
いきなりハイエンドバギーを走らせるという体験をした息子。
どうやら高圧のイナズマに打たれてしまったようだ。
※代表はウイングのもげたマシンで決勝を走った。
「ウイングなんて飾りです」という名言?を残して。
540レースは4位
戦闘モードに入った息子は、赤のDB01を駆り、540レースを戦った。予選2位で決勝は4位という結果だった。
あれだけメソメソしていた彼が言う。
「次も出る」
あのハイエンド体験が彼の中に火をつけたのは間違いない。
残念ながら3位入賞は逃したが、オフロードレースをやる、やりたい、という確かな気持ちが芽生えた瞬間だ。
代表の荒療治は確かに効いた。
まさかの幸運か
代表に今日のお礼を伝える。
代走したマシンの状態も心配だった。
宮「今日はありがとうございました。マシン、大丈夫ですか?」
崎「大丈夫っすよ。どう?ひろき、楽しかったか?」
うなずく息子。
恐る恐る聞いてみる。
宮「ハイエンド、いくらくらいするんですか?」
崎「キットで六万くらいかな。あとメカ入れたら十万くらい?」
宮「ぐっ・・(高っ)ですよね」
崎「お父さん、ひろき、やります?使ってないヤツありますよ?」
間髪いれずに割り込む息子
息「やーりーたーいー!!」
宮(いやいやいやいや、ウチには無理だよ)
宮「えっと、ちなみにおいくらで・・・・?」
崎「ゴニョゴニョで良いですよ」
宮「えええええ?!」
京商レーザーZX-7がやってきた!
かくして、我が家初のハイエンドバギー(中古)がやってきた。
もちろん、タミヤしか触ったことのない私に降りかかる色々な問題もあったが、それは別記事に。
譲っていただいたのは京商の四駆バギー、レーザーZX-7。
どうせやるならと勢い付いて、ヤフオクで二駆のバギー(アソシエイテッド B5M)も落札。(バギーは2WDと4WDクラスに分かれていて、両方やる人が多い)
知らない、分からないことだらけのスタート。
おそらく、この機会がなかったら、我が家が競技バギーを始めることはなかっただろう。
ポンコツメカニックと小学生レーサーの冒険がオフロードでもはじまった瞬間だった。
metabonz宮