コラム

【コラム】RCカーはコミュニケーション・ツールだ【という説】

ラジコンファンの皆さまこんにちは。


当ラジコンブログの共同執筆者である石さんは自動車系のエンジニアでありながら多趣味な男である。

(キャンプ、自転車、スキー、クルマ、プラモデル、ラジコンetc)

何を隠そう私のラジコン趣味は彼からもたらされ現在に至る。

そんな石さんは秋口になると
「今年は何で遊ぶ??」
と大人のラジコン遊びを提案してくる。


ちなみに昨年のテーマはMシャーシで遊ぶで、その前がブリッツァービートルで土遊びをする、だった。

そして今年はというと・・・・
私が息子のレースでカツり過ぎて疲れてしまい、ラジコンで遊ぶ気持ちには到底なれそうもなかった。

「うーん、気が向いたらね」

お茶を濁して話題を変えたりしていた…

石さんは言う。


「宮さんがやらないならワシもやらない」


一瞬(小学生かよwwwww)などと思った私だが、

今なら分かるのだ。痛いほどに。

石さんはラジコンを「コミュニケーションツール」だと言い切っている。


ラジコンそのものに意識を全集中するのではなく、ラジコンを通して発生する他者とのコミュニケーションを楽しむためのツールがラジコンなのだという。

主はあくまでコミュニケーションであって、その中に笑いあり、レースあり、技能の向上や自己の成長があり、のオールインワンパッケージ。

そのことを先日のGBで痛感したのだ。

ワイワイガヤガヤ喋って笑って走らせる。

ワタシはラジコンで誰かとコミュニケーションを取りたかったんだ。


笑って語っておなか一杯になって帰りたかったんだ。


そしてその余韻で日々の仕事もやっていけたりするんだなと思ったのだった。

最近、その成分が足りてなくて疲れてたんだ、と。

息子の競技ラジコンもある面ではそうかもしれない。

息子の場合、誰もいないコースで黙々とレコードラインをなぞってタイムを削ったり、セッティングを詰める作業も嫌いではないらしいけど、やはり自分と同じくらい、あるいは自分より速く走れる誰かを常に求めている。

サーキットに練習に行くときは、必ず「誰来る?〇〇さん来る?」などと聞いてくる。

年齢がどれだけ離れていても関係ない。


言葉は交わさずとも、走りで語り合うことができるのがラジコンの良いところだと息子はいう。
良い走りをする人にはリスペクトの気持ちすら抱く。

走りを見れば人間性までも分かる・・・らしい。

まさに非言語的なコミュニケーションである。

もちろん競技であるからして楽しいことばかりでもないし、厳しさも時には必要だ。

それでも結局のところ、誰か(ライバル)がいるから成立する世界なのは間違いない。

アイツがいるからオレがいる的な。

我々パパメカニックもそうだ。パパメカニックの苦悩と孤独を同じ立場の誰かと分かち合いたい。

いつもそう願ってやまない。

さて、今年もあと少しになってしまったが、なんやかんやで石さんとラジコンで遊び倒すことにw

ラジコンはコミュニケーションのためのツール。

そんな説を唱えてみる。

皆さんはどう思うだろうか?

あなたにとってのラジコンとは?